エッセイ入選


1998年エッセイ・入選

『母の笑顔』

東京都 畔上さゆりさん
37歳 (会社員)


  好きなテレビも終わった。オルガンも飽きた。外はどんどん暗くなる。お腹も空いた。と、家の外で待つことしばし。諦めて家に入ろうとしたその時、小走りに角を曲がる母の姿が見えた。
 「ごめんね、遅くなって!でもママね、今日もお仕事楽しかったわ!」そんな母の笑顔を見ると、それまでの淋しさなど忘れてしまう私だった。
 私が幼稚園に入園した年、母はある生命保険会社で営業職員として働き始めた。今でこそ働くお母さんは珍しくないが、昭和40年代の初めといえば"お母さんは家にいて、おやつを作ってくれる"ことが普通だった。一人で待つことも、営業所で職員さんに遊んでもらいながら待つことも嫌いではなかったけれど、強がりで意地っ張りの私は、甘えたい気持ちを精一杯の努力で隠していたのだと思う。なぜなら、年に1,2回、迎えきれなくなって大泣きしていたから。
 小学校、中学校、高校…笑顔で颯爽と働く母を見ながら過ごしてきた。そんな経験からだろうか、大学卒業後、何の迷いもなく"ずっと働く。ことを選んだのは。そして今年。私は、働き始めた当時の母の年齢になった。この年齢で、あの時代に、そして子供をおいて働き始めた母の勇気。今まで判らなかったことが見えてきている。そして母はといえば、不況で契約がとれないだの、足が弱っただの言いながら、もうすぐ70歳になろうとする今も、毎日はつらつと働いている。ありがとう、そしていつまでも元気でね。