エッセイ入選


2000年エッセイ・入選

『愛する者へ・・・』

栃木県 桜井真木子さん
27歳 (主婦)

 「そうだ、大切なこと忘れてたよ」夫は立ち上がり引出しを開けながら言った。結婚して一ヵ月ほど過ぎたある日のことだった。私の目の前に置かれたものは一枚の保険証券。夫が結婚前から加入していたものらしい。「受取人を変更しなくちゃ。忙しくて忘れていたよ」夫は申し訳なさそうに言った。
 数日後、手続きを終えた保険証券が手元に戻ってきた。「受取人 妻 真木子 100%」という文字が目に入る。私は婚姻届を出した事実よりも、その文字を目にした瞬間、結婚したんだ、と実感させられた。
 残される者を想う気持ちがあればこその生命保険。夫と私のどちらが先に旅立つかすら分からない。だからこそできることをしておかねばならない。「好きな人とずっと一緒にいること」が結婚の定義であり最終目的だと考えていた私は、一枚の保険証券によってより深い意味を知らされた。
 あれから一年。我が家に新しい家族が間もなくやってくる。「保険金、増額してね。あなたに万が一のことがあったら、困るのは私達なのよ」なんて気軽にお願いするほど私は厚かましくもたくましくなった。受取人の欄を目にしたあの瞬間の新鮮さと感動を思い出さないわけではないが、妻から母になるということは、こういうことなのかも知れない。