エッセイ優秀賞 |
「まぁ、保険のようなものだ」 という言葉がよく使われる。 無駄にするかも知れないが、もしもの時のために「とりあえず」という意味に使われていることが多いらしい。 私もこの春、高校受験の時、ある私立高校を一つ、「保険のつもり」で受けている。 合格したが行くつもりはまったくなかった。両親にもなかったと思う。不思議なことに、その学校にもなかったように思える。 では、なぜ受けたのか? 「第一志望に弾みをつけるため?」 「弓のつるをいっぱいに張ったような緊張感を和らげるため?」 今、改めて考えても何のためだったかよくわからない。成りゆきで、その「保険」をかけたのだろうとしか思えない。 しかし、改めて、「保険」というものに向き合ったとき、言葉どおりの安易なものなのだろうかと考えさせられる。 私の両親も、いろんな保険に加入している。親たち個々のため、不慮の事故の相手のため、そして、私たち子どものため。 これらは、「……ようなもの」のように軽いものではなく、個々の目的と使命を持った重要なものではないかと思える。 ただ、両親の生命保険に関しては、いつまでも 「まぁ、保険のようなものだ」 であってほしい。
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審査員・市川森一 |