エッセイ優秀賞


2001年エッセイ・優秀賞

『父の残してくれたもの』

埼玉県 達 礼子さん
36歳(主婦)


   高校三年生の春、父が他界した。ガンの発病から半年。四十四歳だった。「大学進学はどうなるの」弟と妹を含む家族四人の将来より、自分のことしか考えられなかった。
 不安な気持ちが高じて、中間テストで白紙答案を提出した。学校から母に連絡が入ったらしいが、怒る様子もない。その代わり、一冊の貯金通帳を見せてくれた。
  退職金、香典、そして生命保険の死亡保険金が入っている。
 「大学に行きなさい。ただ、受験に失敗しても、お父さんのせいにしないでよ」
 わがままな自分が恥ずかしかった。新しい仏壇の前で、私は涙をこぼした。
 幸い、J女子大とT短大に合格した。学費が少なく、就職に有利な方が良い。迷わず、T短大に行こうと思った。
 「合格祝い」に母と銀座で食事をした際、意外なことを聞かされた。
 「お父さんはJ女子大に行って欲しいんじゃないかな……」父と進路について話したことはないが、私は母のアドバイスに従うことにした。
 後になって母から聞いたことだが、父は大学四年間に多くの友人に恵まれ、何より大切にしていたという。
 最近、大学時代の友人と「親子」で一時を過ごすことがある。母親同士になってさらに親密な仲になるとは、予想もしないことだった。どことなく父の面影を思わせる四歳の息子を見ていると、父との「距離」まで縮まった気持ちになってくる。

寸評

審査員・市川森一
  高校三年という人生の出発点で、大黒柱のお父さんを失った少女の不安と絶望感。その時、亡父が残してくれた保険金が少女の未来を切り開いてくれる。歳月を経て、あらためて亡父への感謝の思いが湧き上がってくる作者に、多くの審査員が拍手と一票を投じました。