エッセイ入選


2002年エッセイ・入選

『表彰状の代わり』

岐阜県 後藤 薫さん
21歳(学生)

  私の隣家には、六十歳を過ぎた大工夫婦が住んでいた。子どもがいないせいか、夫婦仲が良すぎるせいか、時たま大声での夫婦喧嘩が聞こえてきた。耳をそばだてて聞いている訳ではないが、どちらが先に死ぬのかで収束した。
 私は中学に進学するまでよくその家に遊びに行った。目当ては小母さんが出してくれる駄菓子であったが、小父さんがいると夕食までご馳走になった。彼は酔うと「うちの子になれ」が口癖だった。神棚の横に、表彰状のようなものが飾ってあった。素直に好奇心に従って小父さんにそれを聞いた。
 「あれか、生命保険証券。俺が死んだらツレアイがお金を頂ける大切なものさ。だから、ヤツには毎日拝めと言ってある」
 職人肌の小父さんのぞんざいな物言いに、それを聞いていた小母さんが嘲笑するかのように「何がお金だよ。私より長生きするくせにさ。馬鹿な人だよ、表彰状のように飾って」
 三年ほど前、小父さんは脳溢血で亡くなった。あの表彰状が小母さんの生活を助けたのか、親戚たちの助言で、ある老人ホームに入所したと母から聞いた。小母さんにとって、ずっと小父さんの形見として飾っておきたかったと思った。だが、人は天寿を全うするまで生きなくてはいけない。
 今では隣家は壊され駐車場になっている。あの夫婦喧嘩の声がどこか大空の遠い先から聞こえてくるような気がする。