エッセイ優秀賞


2003年エッセイ・優秀賞

『夫婦の会話』

東京都 川島 誠一さん
31歳(会社員)

 
 結婚してまだ三ヵ月だが、最近つくづく思う。
 夫婦の会話は難しい。
 大根の値段とか、魚の鮮度とか、布団を何時に干すかという妻の話しに、どれ程の力を入れて答えるべきか悩んでしまう。
 ある日、妻が事件に遭遇した。
「私、死にそうになったのよ!」
 妻の話は前から大げさだ。
「駅に行く細い道で、私の真横を車が百キロ位で走ったの」
 あの狭い道を時速百キロで走れる車はこの世の中にない、と僕は心の中で言った。
「ギリギリだった、これ位」
 妻と車の距離は、およそ三センチだったらしい。多分、三〇センチの間違いだと思う。
「そのあとを、白バイが追いかけてきて…あそこ、車は通っちゃいけない道でしょ」  近所の人の話によると、白バイが追いかけていたのは事実なようだ。
「いつどこで事故に遭うか、分からないわ」
 まったくだ。無事で何より。
「あなたも気をつけてね…死んだら殺すからね」
 意味不明な言葉を受けつつ、僕は思った。
 先のことは分からない。車両通行禁止の道で暴走車に轢かれるかもしれない。死にたくないが、万が一ということがある。そうなったら、妻はどうする。少しは寂しがると思う。いや、寂しがって欲しい。 再婚は?最近太ってきたし厳しいかも。でも、元気で生きて欲しい。そうなるとお金も必要だ…。
 そういや、僕は生命保険に入っていなかった。すっかり忘れていた。
 妻の大げさな話を聞いて、僕は生命保険に入った。
 夫婦の会話がいつまでも続くことを願って。

寸評

審査員・市川森一
  覚えがある。新婚当初の会話には苦労した。生命保険に加入することも、妻に言われるまでは考えもしなかった。川島さんはエライ。妻のおおげさな話から生命保険を発想するなんて。思わず感心して一票を投じた選者も多かった筈。生保をユーモア感覚でとらえた姿勢にも好感が持てた。