エッセイ優秀賞


2003年エッセイ・優秀賞

『花束をかかえたひと』

和歌山県 源 陽子さん
48歳(主婦)

 結婚してまもない頃、夫が交通事故で膝を骨折し、一ヵ月程入院した。当時移り住んだばかりの横浜には、わたしは友人も親せきもいなかった。心細い思いで毎日付き添いのため、病院に通っていた。緊急で運ばれた病院は自宅から遠く、電車を乗り継いで一時間程かかる。朝早く出かけ夕方帰る生活だった。
 ある朝、いつものように出かけようとすると、玄関のチャイムが鳴った。美しい花束をかかえた女性が立っていた。生命保険の営業担当の方であるという。ご自分の出社前にわが家に立ち寄ってくださったのだ。夫が加入している生命保険は、入院の時の医療保障も特約として付いているのでご安心くださいと、説明してくれた。何か困ったことがあったら何でも相談してくださいねと、柔らかな笑顔を残してその女性は帰っていった。看護も入院の事務手続き関係も、すべてひとりでしなければならない状況の中で、彼女の言葉は心に沁みてありがたかった。
 彼女はその後、何度も病院に立ち寄ってくれた。「近くまで来たので」「もうそろそろリハビリを始める頃かなと思って」  彼女が来ると病室がパッと明るくなった。優しい笑顔に何度たすけてもらったことか。
 生命保険に加入してくれていてよかった。そして担当の方が親切でよかった。
夫は順調に回復し、やがて仕事に復帰することができた。

寸評

審査員・市川森一
  夫が事故で入院し、看護に追われる状況の中で、思いがけない営業職員の訪問。それも花束を抱いて。花束は当然、自前だろう。血の通った生保になるかならないかは、結局は、営業職員サンの真心次第なのだ。ウチもこんな人と契約したいと思う人は多い筈。個人的には一番好きな作品だった。