エッセイ入選


1994年エッセイ・入選

『母さん、ありがとう』

東京都 岡部美智子さん
 46歳 (教員)

 今年の五月、母は腹痛を訴え入院しました。二週間に及ぶ検査の結果、末期の腹膜ガンであることがわかりました。あんなに元気だった母が、なぜ…・・。
 私はすっかり泣き虫になってしまいました。とはいえ、病室で涙は見せられません。ある日のこと、母がつぶやきました。「確か、あの保険には入院保障が付いていたはずだから、見ておいて」と。さっそく調べました。「付いてたわよ」と報告すると、「一日、五千円でも大きいね」と母は安心したようです。が、私は心の中で叫んでいました。「母さん、ガンの場合は一万五千円も付くのよ。でも、そんなのいらないから、死なないで」と。
 何も知らない母は、退院の日を楽しみに、激しい痛みと戦っていました。そして、ついにガンと宣告されて三ケ月目、帰らぬ人となってしまったのです。七十三歳でした。一切の食べ物を受け付けず、点滴だけで百日も生きたのです。今、母は抗ガン剤の苦しみからのがれ、安らかな寝息を立てていることでしょう。
 母、亡き後、残務整理に追われています。唯一の救いは、お金の心配をしなくてすむこと……。今となっては、保険に入っていてくれたことを、とても感謝しています。複雑ですが、正直な気持ちです。