1995年エッセイ・入選
『私、準備できてます』
静岡県 監物由美さん
26歳 (公務員)
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薄ピンク色のてろ〜んとした大トロが、シャリの上に横たわっている。いざっ、という気持ちを込めて真っ先に私の大口に放り込まれる。しばし、舌の上を堪能させてから胃袋の中に、そろりとろりと落ちていく。
「う一ん、最高の幸せ。これで何があろうとも、もう後悔は無いぞ」
夢心地の表情でつぶやく。美味しい物を口にした時のお決まりの言葉だ。すると、白子のように、ねた一つとした母の視線が絡みつき、そして厳しい一言。
「大トロだけで満足だ幸せだ、なんて言ってないで先の事考えなさい」
やれやれ。ここ二、三年の間に、友人達の姓は海老の脱皮の如く変化していた。そろそろ私も考えなければね、と寿司をつまみながら母と相談。
「加入してみれば生命保険、未来のだんな様と子供のために。備えあれば憂いなしだよ」と母。
「うーん……」と私。
物心ついた時から、人間四半世紀生きればいつしか、はっと胸躍らすような相手とめぐり会い、パンパカパーンのファンファーレの中、大鐘をゴンゴンゴーンと鳴らせるのだと思っていた。「よっしゃ」と、母の言葉に流されるように保険加入を決意したのは、二十三歳の誕生日、寿司屋での事。
あれから早三年、大トロを真っ先に食べるのも、姓も変わらず、ただ、じわじわと今に来るだろう機会を手ぐすね引いて待ってます。だって、プロポーズされた時の言葉も用意してるんですから。
「あなたの事を思って、もう入っています」
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