エッセイ優秀賞


1995年エッセイ・優秀賞

『人生の相談相手』

神奈川県 生山弘一郎
62歳 (会社役員)


   ― おっさんの来るころやな……。
 梅雨空の季節になると、こんな会話が互いにかわされる。
 おっさんは、年に一度か二度、東京の支店を訪れる保険会社の担当である。
 色艶のいい、年配のおっさんは、以前から事務所に出入りしていた。保険に興味のない私が、初めて話をしたのは、先輩から 「保険に入る、入らんは二の次や、一ぺん聞いてみ、おもろいで」 との勧めからである。
 おっさんは面白かった。と言うより、勧誘じみた内容は一切なかったのである。
  話題は豊富であった。地方の名産、釣りの穴場、果ては料理の旨い温泉、どこに仕入れの秘密があるのか、間違いはなかった。
 ― 話していると勇気が湧くで……。
 失意の仲間が語る。
 聞き上手のおっさんは、悩みを真剣に受け止め、後には必ず元気づけてくれた。 「あんさんを頼っている家族がおりまっせ」
 この一言に私は保険を見直す気持になった。
 梅雨になった。今年おっさんはまだ来ない。 なんでも体調を崩して入院しているとか。
 来ているときにはさほど感じなかったが、ポッカリ穴が開いたような空しさが漂う。そう、おっさんはいまや保険会社の人ではない。 経験豊かな、人生の相談相手とも言える貴重な存在なのだ。
 回復を祈らずにはいられない。

寸評
審査員・内館牧子
  珠玉の短編小説を読んだ気になりました、完成度の高い文章で、おっさんが目に浮かんできます。色んな人と出会えることが、人生の幸せなのだと行間が語っています。 おっさん、もう元気になったかなア。