エッセイ入選


1996年エッセイ・入選

『先取点、中押し、そしてダメ押し点』

東京都 榎陽一郎さん
59歳 (テクニカルライター)

 「…若いうちに生命保険に入ることはね、野球で先取点を取るようなものなのヨ」
 広告会社の制作室で、遅い昼食をかき込みながらCMのモニ夕―画面をにらんでいた私の耳元で、ベテラン女性営業職員のFさんがささやいた。まだ独身で、保障とか備えとかの守りの姿勢が大嫌い。難攻不落だった私も、この「先取点」にはコロリと参り、結局は初の生命保険契約にサインしたのである。
 それにしてもCMの殺し文句で人をノセる私を陥落させた、Fさんの殺し文句はお見事。ちょうど東京五輪に沸いた年のことだった。
 やがて私も家庭を持ち、殺人的な激務や転職・独立と、危なっかしい生活が続いたが、若いうちに入った生命保険は、まさに暮らしの先取点で、一歩先んじた安心感があった。しかも賢明な女房殿は、子供の誕生や成長に合わせ、中盤の「中押し点」や終盤の「ダメ押し点」のように逐次新しい保険をつけて暮らしをガードし、万一の「逆転負け」を防ぐ的確なリードをしてくれたようである。
 米国の野球界などで、ダメ押し点のことをINSURANCE(保険)というらしいが、Fさんの説に似て愉快だ。日本のプロ野球でも勝率5割を越えれば貯金、割れば借金と表現するが、勝利確定への加点も、「ダメ押し」より「保険」のほうがスマートではないか。
 「イチローのタイムリーで2点。これはもう保険ですねェ」…などと解説者に言わせ、流行語にしてみたいような気がするのだ。