これまでのエッセイ最優秀賞


1997年エッセイ・最優秀賞

『早まった父の遺言』

大阪府 福岡新弥さん
41歳(会社員)


  突然、実家の父から手紙が届いた。
  封を切ると、中から手紙と一緒に生命保険の証券が出て来た。
 「父さんは、今日入院をする。もし万が一のことがあったら、これを役立てて欲しい」
 手紙にはそう書いてある。証券の裏面を見ると、受取人の欄には私の名前があった。
 前回帰省した時にはあんなに元気だったのに・・・。半年前の父の笑顔が浮かんで来て、胸と鼻の奥が熱くなった。
 すぐに実家に電話をかけた。何か悪い病気が見っかったのだろうか。胸さわぎで呼び出し音を待つのももどかしい。
 母が出た。「久し振り、元気?」と拍子抜けするほど明るい声。手紙の一件を告げると、母は大声で笑い出した。
 「余計な心配をすると思って連絡しなかったけど、転んで膝の皿にちょっとヒビが入っただけなの。結局入院はしなかったのよ」
 病院に向かう朝、父は母にも「何かあったらこれで葬式を出してくれ」と、ヘソクリの預金通帳を渡したらしい。
 「でも、その保険は私にも内緒でかけていたのね」母は初めて聞く話だと言った。
 いつも不愛想で不器用な父だが、寡黙な表情の奥に温かい優しさを隠していたんだね。
 保険証券を見つめながら、すでに切れている受話器に向かって、
「父さん、ありがとう」と言ってみた。

寸評
審査員・玉村豊男
 気の早い、心配症の父親の余計な指図?いや、お父さんは、ずうっと証券や通帳を渡す機会を待っていたのかもしれませんね。
 不器用と不愛想の中に秘めた深い思いやりと愛情。ニッポンのお父さんここに在り、という面目躍如です。最後のシーンから想像すると、息子さんも多分にお父さんの性格を受け継いでいるのではないでしょうか。