エッセイ入選


1997年エッセイ・入選

『二人の夢のために』

埼玉県 岸田政明さん
40歳 (教員)


  保険金なんかクソ食らえだ。ただ妻さえ帰ってきてくれれば何も欲しくはない。それが私の本音だった。いや、肉親を亡くした者にとって、それは誰もが抱く一般的な感情ではないだろうか。
 昨年の秋、妻が逝った。三十歳を前にして何の前触れもなく、私を残してあの世へと旅立ってしまった。心筋梗塞だった。通夜、告別式、初七日と儀式の続く中、急逝だったために私は妻の死が信じられず、ただ悲しいだけの日々を過ごしていた。
 一人になってしまうと、身の周りのもの全てが空虚に映った。保険金振込みの通知が来ても、それは私にとってほとんど意味のないものでしかなかった。振込まれた金額が妻の命の値段のように感じられるのも嫌だったし、子供のいない我が家にとって当面は使う予定などなかったからだ。
 ところが先日、ワープロのフロッピーを整理していた時に思わぬ原稿が画面に出てきた。職場の近くの古老から聞いた昔話や伝説をまとめ始めていたものだった。当時、私がそれを一冊の本にしたいと言うと、妻は、 「それじゃあ、私がカットを描いてあげる。そしたら二人の合作になるね」 と嬉しそうに申し出てくれた。退職するまで妻は美術の教員をしていたのだ。あの時の妻の顔がありありと甦ってきた。
 保険金の使い途が決まった。辺りの山々に秋風が吹き出す頃、妻の一周忌が訪れる。