エッセイ入選


1998年エッセイ・入選

『こんな心の伝え方もあったのです』

青森県 平野聖子さん
47歳 (寮母)


  十年前のことです。現在は夫と娘の三人家族、でも結婚した当時は夫の母と同居、夫は七人兄姉妹の下から三番目、しかし兄嫁は義母との同居を拒否し他の娘達もそれぞれ家庭を持ち、一人者の夫が母と暮らしていました。夫と私との結婚話が出た時、私の両親が「せめて新婚のニ年位は二人だけの生活を」と切り出したのです。でも誰も首を縦に振らず、私は夫の優しさを頼りに結婚しました。
 同居して見て、初めてそれまでの生活環境の違いを実感、私はどちらかと言うと物事をハッキリ言うタイプなので度々意見が合わず、夫は嫁姑との板挟みになり大分心を痛めた様でした。義母は私とぶつかる度に娘達に電話でぐち、それでも娘達は誰一人「母さん一緒に暮らそう」とは言わなかったみたいで、私は義母の涙を初めて見ました。
 それからは義母に誠心誠意尽くしました。
 同居して七年余、義母は突然病に倒れニカ月後に他界、四十九日も過ぎ、兄姉妹達に形見分けをと初めて義母のタンスの小引出しを開けると一枚の保険証券が…開いて見てびっくりしました。受取人名義が嫁の私に、義母は私達が結婚する前に入り、ニ年前に名義変更をしていたのでした。
 又その証券に重ねて私宛に「こんな煩い婆さんと暮らしてくれて有りがとう」私は涙が出て止まりませんでした。決して金額は多く有りません、でもその心が、「ちゃんと見ていてくれたんだお母さん」最後まで一緒に暮らして良かった。
 初めてほんとうの親子になった瞬間でした。