エッセイ入選


1999年エッセイ・入選

『お守り』

沖縄県 山口美奈さん
31歳 (主婦)


  14年前、54才の若さで母は亡くなった。 肝臓ガンだった。お腹が痛いと倒れてからわずか2ヵ月後のこと。残された父と姉と私は本当に途方に暮れる状態だった様に思う。
 当時両親は小さな食堂を経営していたが、父が地域の体育指導員を任されていた為、家をあけることが多く、家事はもとより、店の仕込みの一切を母が一人でこなしていた。私達の前ではいつも笑顔の母だったから、母の体がそこまで疲れ、病魔に蝕ばまれているなど、恥ずかしいことだが家族の誰一人気づかなかった。入院した時はすでに手遅れ。そして母は保険というものに一つも入ってはいなかった。病院への交通費、差額ベッド代、母の寝巻や下着、自分達の食事代、手術費、投薬や痛み止めの点滴代。あらゆるお金が私達家族に重くのしかかってきた。貯金はみるみるマイナスになり母が亡くなるまでに銀行からかなりのお金を借りた。父や姉は店を守るべく必死で働き、社会人一年生だった私も僅かながら仕送りをした。金銭的な痛手だけじゃない。花嫁姿を見せる事も孫を抱かせる事もできず親孝行の一つもできなかったとの思いが募る。今は私も30才をすぎ2児の母。「家族のため石にかじりついても死なないゾ」とちょっぴり図図しさも出てきた。とはいえ人間明日の事は解らない。先日、主人と保険の見直しと人生設計について語り合った。私達家族にとっての保険とは、かわいい我が子に私のような思いをさせない様強く元気に生きぬくためのお守り。