エッセイ入選


2000年エッセイ・入選

『紙切れ一枚』

愛媛県 大野ゆり子さん
35歳 (会社員)

 「ところで、保険の名義は変えたの?」
 母の言葉に一瞬ポカンと口を開けた私は、がっくりとうなだれた。「まだだった…」  結婚・離婚は紙切れ一枚だなどと誰が言い出したのか知らないが、とんでもない。籍の変更だけにあらず、書き替えなければならない紙切れは山のようにあった。あれも、これもと指を折り、「やっと終わった!」と缶ビールを開けた途端に母の一言である。
 保険証券の死亡保険金受取人欄には、既に他人となった人の名前が記されていた。
 翌日、私はうんざりした気持ちで保険会社に電話をかけた。同情の言葉を掛けられることには慣れていたが、担当の女性は意外にも私に会うなり、「大変でしたでしょうが、おめでとうございます」と言った。思いがけない言葉に面食らうはずの私は、次の瞬間、ポロポロと涙をこぼしていた。そんなふうに言ってもらえたのは初めてだった。
 微笑みをたたえた目の前の女性は、新しい紙切れを取り出して説明を始めた。私は死亡保険金を減らし、女性特約を増やした。決断を祝福してくれた笑顔に励まされたからといってもいいだろう。事故や病気で倒れても、頑張って保険を掛けているから大丈夫だよと言い聞かせるのは、独りで生きる女性にとって必要な支えだ。  今、私の手元にある保険証券の紙切れは、ずいぶん重い。