エッセイ優秀賞


2000年エッセイ・優秀賞

『夫が残してくれたもの』

東京都 山本真由美さん
34歳 (学生)

  夫は結婚する少し前に生命保険を増額した。当時二十六歳だった私にとって、生命保険とは遠い将来に備えて掛ける、現在の自分達には不必要のものだと思っていた。
 だが私が生命保険の必要性を感じたのは、決して遠い将来ではなかった。  結婚してから二年半後に、夫は脳腫瘍と診断された。それまで殆ど風邪もひかない健康な人だった。彼は手術と放射線治療の結果、三ヵ月で社会復帰を果たし、もとのペースで仕事をするようになった。だが術後約一年で再発し、その半年後に帰らぬ人となった。
 私は夫が闘病中も、ずっと事務の仕事を続けていた。子供がいなかったため、一人で生きていくにはそれ程困ることはなかった。だが夫の死によって、私の価値観はがらりと変化した。彼は、三十七歳で逝くには悔いが残る、と語っていた。私は三十歳になっていたが、今からでも遅くはない、自分が体験したことを少しでも生かす仕事に就きたいと考え始めていた。
 そして今年四月から看護学校の学生となった。しかし、ここで夫が残してくれた生命保険がなかったら、三年間無職の学生になる勇気は、そう簡単には持てなかったであろう。
 現在の私が存在するのは、夫のおかげである。私は彼のためにも、そして勿論自分自身のためにも、悔いのない人生を送ることが出来るよう、生きていこうと思う。

寸評

審査員・市川森一
  三十七歳の死は余りにも早過ぎる。心残りも多かったにちがいない。その死を無駄にするかしないかは、残された者の意思に掛かっている。看護学校への道を歩き出した作者に拍手を送りたい。「夫の生命保険のおかげ」といわず、「夫のおかげ…」と書いたこの人は立派だと、選者のひとりが言っていた。