エッセイ優秀賞 |
猛暑が続いた日、父は自転車に乗って長い坂道を登り、私の入院している病院へ見舞いに来た。汗びっしょりでぬれた手拭いを持ち、心配していたのだろう、私の顔を見ると 「大丈夫か」 と、聞いた。 「うん、元気だよ。それよりもお父さん、足の痛みは治ったの。こんな遠いところまで来てくれて、無理しなくてよかったのに」 私が言うと、のどが渇いていたのか売店でお茶を買い、待合室の椅子に座って飲み始めた。 「母さんの入院した時は、大変だったなぁ、治療代も高くてね。母さんそれを気にしてね。」 当時、農業をしていた父は、夜中まで野菜を調べ、朝五時には市場へ行き、合い間に母を見舞っていた。母の余命を知らされた時の父は、どんなにつらかったろう。一人黙って悲しみに耐えていた。きっと母も同じ気持ちだったに違いない。 「父さん、私は手術すれば治るんだって。それに保険に入っているから治療費は安心よ」 私が言うと、笑ってうなずいた。父は、ほっとしたのか 「帰りは、下り坂だから楽に走れるよ」 と、言いながら足をひきずり駐輪場へ向って行った。 |
審査員・市川森一 |