エッセイ入選


2002年エッセイ・入選

『イザノトキ』

北海道 加納利恵子さん
32歳(公務員)

 今日は仕事が定時に終わって帰ってきた。食事のあとかたづけもすんだし、お風呂も入った。夫と娘はもうテレビの前。……あれ? いつもより時間があるぞ……と久しぶりに「イザノトキ」と書かれた大きな茶封筒を取り出して、思わず笑ってしまう。これって父のまねっこだ。
 父は自分の生命保険の証券を、黒いマジックで「イザノトキ」と書いた大きな茶封筒にしまっていた。子どもの頃、その「イザノトキ」の文字はちょっと滑稽で大げさなもののように思えたものだ。「イザ、イザっていつなのよ。時代劇じゃないんだから」と笑い飛ばしていた。毎度、娘の私にバカにされながらも、父は「ここにあるぞ」と私にアピールするように、時々「イザノトキ」を取り出しては中を見ていた。
 二十年経って自分が親になってみると、考えずにはいられない「イザノトキ」。大げさだなんてこれっぽっちも思わない。若かろうがなんだろうが、人生が突然終わるかもしれないということも、だいぶわかってきた。
 いつもどおり、イザノトキは頼みますよぉ!とポンポンと茶封筒の上から証券をたたいてお願いしておく。
 幸い実家の「イザノトキ」はまだ小さな金庫にしまってある。茶封筒はだいぶボロボロになったが、黒い文字はうすれてはいない。
最近やっと父の「イザ!」の気持ちがわかった気がする。