エッセイ優秀賞 |
「保険金の受取人は、前のままにしてある」離婚して一年、恒例となった寿司会食の席で前夫は言った。私はなんとコメントしたらよいか分からず押し黙っていた。確か、保険金額五千万、災害死亡時は一億だったような…。私はと言えば、受取人をさっさと娘に変更していた。 「まさかもう受取人の変更手続きはしたのでしょう」翌年の会食の席で、私はさりげなく前夫に訊いた。「前と同じだよ。僕に万が一の事が起こったら、家族のためにうまく処理してくれるのは君しかいないから」意外な答えに私は顔を引きつらせて微笑した。 次の年も、さらに次の年も、前夫が保険金受取人を変える様子は一向になかった。そして、離婚後七年の歳月が流れたある日、前夫から電話が入った。「保険金の受取人を息子に変えた。まだ学生だけど、一応成人したのだから、僕に何か起きたらするべき事を、きちんと説明しておいた。誰も困らないようにしてあるから何も心配しなくていい」家族に対する前夫の深い情愛を、まざまざと思い知った私は、翌日自分の保険証券をコピーして彼の元に送った。私に何か起きたら、家族のためにうまく処理してくれるのは、やっぱり彼しかいないから。 それから一年、私たちは相も変わらぬ友情を保っている。 「もしも生命保険に入っていなかったなら、私たちは、こんなにも奇妙で深い絆を築くことができただろうか…」 八回目の離婚記念日を迎え、私はしみじみとそんなことを思った。
|
審査員・市川森一 |