エッセイ優秀賞 |
「どーしたの、急に」 外の暑さを忘れるくらい冷房のきいた店内で、彼から、唐突に渡されたのは、彼名義の生命保険証券だった。 私は何だか不安な気持ちになり思わず言った。 「こんな元気な人に保険なんていらんやろ、縁起でもない」 そう言って、彼に証券を突っ返したが、彼は受け取らなかった。 「アホやなぁ、保険は元気なうちに入るから保険なんやろが」 アイスコーヒーにシロップを入れながら彼が言った。 証券を私に持たせたまま、彼が証券を覗き込み、指差した。そこには、彼のお父さんの名前があった。 「受取人な、お前の名前にしようと思ったんやけど、まだ籍が入ってへんからアカンかった」 彼は、ストローで氷を突きながら、顔も上げずに言った。 「え? 私の?」 そこまで言うと、彼は突然私の頭を手で覆い、ゆっくりと言った。 「大丈夫や、籍入れたら受取人は変更できるから。だから、はよ結婚しよな」 それは、彼が私との将来のために入ってくれた保険の証券だったのだ。 不器用な彼の、不器用なプロポーズだった。
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審査員・市川森一 |