エッセイ入選


1994年エッセイ・入選

『思いやりの一つ』

東京都 関野永子さん
 40歳 (会社員)

 今から十五年前の四月、私達は結婚しました。それはそれは夢のように幸せな毎日でした。そんなある日、会社から戻った主人が「今日、生命保険に入ったよ、保険って好きじゃないんだけどさ、これも思いやりの一つだからね。」と言いました。
 かるい気持ちで入った保険、まさかこんなに早く受け取る日が来ようとは。結婚した翌年には娘が生まれ、その翌年には主人は病院の中でした。手遅れの胃癌でした。お金なんていらない、あの人に生きていてほしい、毎日毎日切実に祈りました。が、薄々感じていた不安が現実になった時、頼りになったのは二才の娘と、私がいらないとまで思った保険金でした。これからどうしようと打ちひしがれてばかりもいられない、私が健康で働けさえすれば何とか生きていけるだろうと気を取り直して頑張ってこれたのも、保険金という貯えが大きな心の支えになっていたからだと思います。
 主人が亡くなってからすぐ、私自身保険に入りました。あれから十二年まだ一度もお世語にならずかけ続けていられる事を心から嬉しく思います。自分の思い通りに生きていく事ができるのなら生命保険など必要ありません。思い通りに生きられないのが人生だと身を持って感じた私は、これからもどんなに生活が苦しくなっても、娘のために保険だけはかけ続けていこうと思っています。「これも思いやりの一つだからね。」主人の声が聞こえてきそうです。