エッセイ入選


1994年エッセイ・入選

『父が残したもの』
福岡県 瀬口裕二さん
40歳 (会社員)

 長い闘病生活の末、父は六十四歳で亡くなった。重い病状が続いていたが、よもやこのまま逝ってしまうとは思っていなかったので、残された私たちは全員が心の支えを突然はずされたようで、そのまま座り込んでしまった。
 家族との時間を大切にし、ひたすら真面目に働き続けた父。けっして仕事に手を抜くことなく働いたが、その無骨さ故に出世することもなかった。
 数日後、やっと気持ちを取り直して、遺品の整理に手をつけていたところ、母が「これ何かしらねえ」と、封筒を持ってきた。それは一通の生命保険証券だった。母は、そんなものを作った記憶はないと言う。
 契約の日付は、二十年も前だ。当時ではかなりの金額の保険だったろうが、今ではほんのわずかな金額でしかなかった。その頃のわが家は、兄弟三人を学校にやるために、生活が苦しかったことを子供心にも知っていた。父はその苦しい中で、母に内緒でこの生命保険に入ったのであろう。不器用な父はきっと、保険を掛けかえるということを知らなかったに違いない。
 保険の金額がささやかなほどに、あの頃の父の家族を思う心がはっきりと伝わってきた。金額欄の小さな数字が一瞬大きく膨らんだかと思うと、あとは滲んで何も見えなくなってしまった。