エッセイ入選


1994年エッセイ・入選

『桐のたんす』

神奈川県 壷倉莱穂子さん
 29歳 (会社員)

 桐のたんすがやって来る。この秋、私のもとへ。「ようやく肩の荷が降りたわ。」母が言った。父が亡くなってもう十二年が経っていた。
 あの時、私達は必死だった。父との別れの瞬間まで回復を信じていた。過去も未来もない。いまある時間だけが大切だった。だが、時間は容赦なく過ぎていった。残された私達は生きて行かなければならなかった。
 周囲にいる誰もが私達姉妹は進学を諦め、就職すると思ったようだ。TVドラマの悲劇のヒロインがそうするように。しかし、母が言った。「行きたいのなら挑戦しなさい。」そして、娘を進学させることは父の希望であり、経済的なことは心配するなと。私達の迷いは消えた。二人とも四年制大学に進学した。
 いま、姉も私も航空会社に就職し、空を飛んでいる。父が大好きだった大空を。姉が言った。「知らず知らずのうちに、二人ともパパの理想に沿って生きているみたいだね。」そういえば、幼い頃の写真には飛行機がたくさん写っていた。
 父の夢はいつしか私達の夢となり、目標となっていた。「桐のたんす」までというのは母の夢であり、目標だったそうだ。父と母、そして私達の夢を支えてくれたのは、父が生前加入していてくれた生命保険だった。母の晴れ晴れとした顔をみて、私も生命保険に加入した。まだ見ぬ愛する人達のために。