1994年エッセイ・入選
『夏・一九九四』
北海道 結柴左悦子さん
31歳 (児童厚生員)
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「それではお大事に。失礼します。」 うす緑色の花柄のブラウスを着ていた母は、私と同じ病室の人々に頭を下げて帰っていった。入院中の私にとって、それが母の最後の言葉と姿だった。その翌日、母は突然逝ってしまった。急性心筋こうそくだった。首のリンパ節の手術をして入院中だった私は、父と妹から知らせを聞いてとんで家に帰った。誰もが予想もしない知らせを聞いた親せき、知人たちも次々と家にかけつけた。暑い夏の、真っ盛りに起きた出来事だった。
病気や事故がない限りあまりかかわることはないだろうと思っていた、もしもの命の保障が、私の手術入院、母の急逝で一度に現実になった。誰のどんな人生でも不測の出来事が起こる可能性はゼロとは限らないし、もちろん自分自身にさえも予測はつかない。もしそのようなことが起きたとしたら、命の保障の持つ役目は自分のため、家族のためと様々だが、その意味はあまりに大きいような気がする。
もしもの命の保障のうしろには、「人生って何が起きるかわからない、人の命は何よりも尊いものだ」ということがかくれている。
暑かった夏、私のあげたうす緑色の花柄のブラウスを着た母が、私に教えてくれたことだった。
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