エッセイ入選


1996年エッセイ・入選

『思いやりの形』

奈良県 寺久保真由美さん
30歳 (主婦)

  「お父さん、ちゃんと保険金が下りるような死に方してや!」
「あほか、勝手に人を殺すな!」
これは、私が幼い頃、何度となく聞いた、両親のやりとりである。
 父は、トラックの運転手だったので、常に事故の危険に直面していた。その為、万が一、父が、車の事故で死亡した場合、多額の保険金が、下りるようになっていたのである。幼い二人の子供を育てていかなければならない母にとって、当然の処置だったのだろう。そして、我が家では、このちょっと乱暴に聞こえるやりとりが、くり返されたのである。
 私は、それがとてもおかしく、でもなぜか、ほほえましく思えた。それは、照れ屋の両親が、その言葉の裏で、こう伝え合っているということが、ちゃんとわかっていたからだった。 「お父さん、くれぐれも気をつけてね」 「よっしゃ、心配するな」 そこには、お互いに家族を思いやる、暖かい気持ちが、あふれていたに違いない。
 結局、保険金のお世話になることなく、私は成人することができた。思えば、その間、生命保険は、無言で、私達家族を、ずっと見守ってくれていたような気がする。まるで、空気のように自然に、それでいて、力強く、暖かく。