エッセイ入選


1996年エッセイ・入選

『保険と私』

三重県 玉木幸子さん
49歳 (主婦)

 当時大学生だった私は、いつもの様に降り立った駅の出口に、ポツンと立って待っている妹を見て胸騒ぎがした。
 「お父ちゃん、今日病院で診てもろたら胃癌の末期やて。長くて三力月の命やて」。 私は天地のひっくり返るような衝撃を受けて、動けなかった。寒風の吹く夜の街を、妹と私は、人が見るのもかまわず、声を出して泣きながら、長い間、歩きまわった。ニ十八年も前の話である。
 当時の日本は貧しかった。私の両親もまじめによく働いたが、毎月、食料品店のツケを支払うと手元には幾らも残らない生活だった。ある時、保険の集金のおばさんと母の間で、保険をやめる、やめないの押し問答が始った。当時のお金で百万円の保険金に支払う掛金が、母には負担だった。
 やがて母は、「どうしよう?」と私の意見を求めた。私は深い考えも無く、「人間、一寸先は闇と言うし、もしもって事も有るから、一つは掛けといたら」と言った。
 その一言が母の決断を促し、保険は継続する事になった。それから間も無く父が癌の宣告を受けるなどとは思いもよらない事であったが、その時の百万円は、まさに地獄で仏に出会った有難さで我が家を救った。父の死に依って、「もしも」や「万が一」は、自分の身にも起きるのだと、骨身にしみた。以来、私の生活の中で、保険と縁の切れた事は、
一度も無い。