エッセイ入選


1997年エッセイ・入選

『「海外旅行」付き生命保険』

岐阜県 田中和江さん
61歳 (無職)


  忘れもしない十三年前、夫が突然前立腺癌の宣告を受けた。癌なんて人ごと、自分達に関係ない…・と、高を括っていた。手術後、女性ホルモンの投与によって、夫の体のあちこちが女性化し、体臭まで変わってしまった。悩む夫を「薬のせいなんだから…」と励まし勇気づけてきた。もちろん夫婦関係は不可能となり、以来、友だち夫婦を楽しんでいる。
 夫のいのちが限りあるように思えて、私は悩んだあと、夫との思い出を家族で共有できたら…と、海外旅行を思いついた。しかし、三人の娘を大学に、そして長女を結婚させた直後のこと、お金などあろうはずもない。「よし!借金だ」と、思いついたのが「生命保険」、満朗にはまだ十年もある。でも借りよう、そしてこれで海外旅行に行こう。たかが海外旅行、されど海外旅行だ。 私は思い立ったが吉日、営業職員のおばさんに相談し、百万円也を借りることに成功した。おどろく夫を尻目に「ヨーロッパ十三日間感動の旅」を計画し、夫、娘、そして私の三人で夢のような海外旅行を実現した。わが生涯のかがやける日であった。
 「生命保険」には生命の保障と共にこんな楽しい利用の仕方もあるのである。この「生命保険」に海外旅行という箔をつけたお陰で、夫は前立腺癌を克服し未だに元気である。そして、この記念の「生命保険」がなんと九月に「満期おめでとう」と、私の手になだれ込む。うれしいかぎりである。