エッセイ入選


1997年エッセイ・入選

『お袋の背中』

静岡県 後藤・Tさん
22歳 (会社員)


  オレのお袋は保険屋だ。もう何十年も、オレが生まれてもずっと今まで仕事を続けている。
 しかし、仕事をしていても、学校行事にはかかさずに顔を出して、大きな声援を送ってくれ、恥ずかしいやら嬉しいやら、その気持ちは今でもはっきりと覚えている。周囲の人も、お袋が働いているとは思っていなかった位であった。
 お袋と外を歩くと、色々な人から声を掛けられる。サラリーマン風の若者。品の良いおばさん。頭の毛が薄い中年の男。話好きで、捕まると二十分以上はかかる老人。医者。お坊さん。一体どれだけの出逢いと別れを体験してきたのであろうか。オレには判らない。
 自分の客に何かあった時は、親父と酒を飲みながら「保険屋がこんなこと言うのも変だけど、お金よりその人が生きている方がいいよね」とつぶやくように言う。そんな時は親父も決まって「そうだな」と答える。
 そんなお袋も近頃では「疲れた」という言葉を口にすることが多くなった。お袋の背中には、数え切れない人々の生活がかぶさっているのだ。その背の荷物を降ろす訳にはまだいかないだろう。オレのバイト先に様子を見に来るお袋。今も昔もかわらない。ただその後ろ姿は、以前に比べて大きく、そして頼もしく見えるのだ。